『祈りの幕が下りる時』カレンダーの橋の名前は誰が書いた?事件を解く手がかりを解説
※この記事には、映画『祈りの幕が下りる時』の事件の真相について重大なネタバレがあります。
『祈りの幕が下りる時』で、事件を大きく動かす証拠が、越川睦夫の部屋に残されたカレンダーです。
そこには、月ごとに日本橋周辺の橋の名前が書かれていました。
では、誰が書いたのでしょうか。
そして、このカレンダーがなぜ押谷道子殺害事件を解く重要な手がかりになったのでしょうか。
この記事では12の橋そのものの象徴的な意味には広げず、カレンダーを書いた人物と、そこから捜査がどう進んだのかに絞って解説します。
この記事でわかること
- カレンダーに橋の名前を書いたのは誰か
- 何のために書かれていたのか
- 松宮は何に気づいたのか
- なぜ加賀は橋の名前に強く反応したのか
- 橋の情報からどう真相へ近づいたのか
結論|書いたのは浅居忠雄、父娘の待ち合わせ予定だった
カレンダーへ橋の名前を書いていたのは、浅居博美の父・浅居忠雄です。
忠雄は東京では「越川睦夫」という名前を使って生活していました。
カレンダーに書かれた橋は、娘・博美と会うための待ち合わせ場所です。
つまり警察が見つけたカレンダーは、越川睦夫と浅居博美のつながりを示す重要な手がかりだったことになります。
最初にカレンダーの橋へ注目したのは松宮
押谷道子殺害事件の捜査の中で、松宮は越川の部屋に残されたカレンダーへ注目します。
そこには月ごとに違う橋の名前が書かれていました。
一見すると意味不明なメモです。
しかし、複数の橋が規則的に並んでいる以上、単なる偶然とは考えにくい。
ここから、橋の名前そのものを調べる捜査が始まります。
なぜ加賀は橋の名前に強く反応した?
加賀恭一郎にとって、その橋の名前は初めて見るものではありませんでした。
加賀は以前、母・田島百合子の遺品の中で、日本橋周辺の橋につながる手がかりを見ています。
そのため、越川の部屋から同じ橋の名前が出てきたことで、加賀は強く反応します。
他人の殺人事件と、自分が長年追っていた母の過去がここで初めてつながったのです。
母の遺品と越川のカレンダーをつなぐ人物は誰?
鍵になるのが、百合子が仙台で親しくしていた綿部俊一です。
そして綿部俊一の正体は、浅居忠雄でした。
さらに浅居忠雄は、東京では越川睦夫として生活しています。
つまり、
綿部俊一=越川睦夫=浅居忠雄
です。
百合子の遺品と越川のカレンダーに同じ橋が出てくる理由も、忠雄という一人の人物でつながります。
橋の情報から浅居博美へどう近づいた?
カレンダーの橋が単なるメモではなく、誰かと会うための予定だと分かれば、次に重要になるのは「誰と会っていたのか」です。
そこで橋の周辺や日時が調べられます。
特に重要なのが、日本橋で行われる「橋洗い」です。
多くの人が参加するイベントのため、その日に撮影された写真が数多く残っています。
その写真を調べることで、浅居博美が橋と関係していたことへ近づいていきます。
秘密を守る仕組みが逆に証拠になった
忠雄と博美は、人目に紛れて会うために橋を使っていました。
同じ店や家で会うより、公共の場所である橋の方が目立ちにくいからです。
しかし殺人事件によって越川の部屋が捜査され、カレンダーが発見されたことで、その秘密の仕組み自体が警察の手がかりになります。
父娘の関係を隠すために使っていたものが、結果的には父娘の関係を明らかにする証拠になったのです。
12の橋そのものの意味は別記事で
このカレンダーに書かれていた12の橋は、単なる捜査上の証拠ではありません。
忠雄と博美にとっては、長年離れて暮らしながらも親子としてつながり続けるための場所でした。
なぜ橋だったのか、なぜ12か所なのか、父娘にとってどんな意味があったのかについては別記事で詳しく考察しています。
▶ 『祈りの幕が下りる時』12の橋の名前には何の意味がある?父娘の秘密を解説
まとめ|カレンダーは事件と加賀の過去をつなぐ証拠だった
カレンダーへ橋の名前を書いていたのは、越川睦夫として生活していた浅居忠雄です。
その橋は、娘・博美と会うための待ち合わせ場所でした。
松宮が橋の名前へ注目し、加賀が母の遺品との共通点に気づいたことで、捜査は大きく進みます。
さらに橋の日時や写真を調べることで、浅居博美と忠雄の関係へ近づいていきます。
カレンダーは、押谷道子殺害事件と浅居親子、そして加賀の母の過去を一本につなぐ重要な証拠だったのです。
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