『白鳥とコウモリ』タイトルの意味を考察|なぜ白鳥とコウモリなのか?
※この記事には、映画・原作『白鳥とコウモリ』の内容に触れるネタバレがあります。
『白鳥とコウモリ』を観終わったあと、タイトルの意味が気になった人は多いと思います。
なぜ「白鳥」と「コウモリ」なのか。
白鳥は誰を表していて、コウモリは誰を表しているのか。
単純に、
白鳥=善
コウモリ=悪
という意味なのでしょうか。
結論からいうと、そう単純ではありません。
このタイトルは、物語の中心となる倉木和真と白石美令という、本来なら同じ側に立つはずのない二人の関係を表しています。
さらに物語を最後まで知ると、「白」と「黒」、「被害者」と「加害者」を簡単に分けられない作品全体のテーマまで、このタイトルに重なって見えてきます。
『白鳥とコウモリ』のタイトルの意味は原作で説明されている
映画版では、「なぜタイトルが白鳥とコウモリなのか」ということは、はっきり説明されません。
しかし原作小説には、大きなヒントがあります。
倉木和真と白石美令について、
一方は容疑者の息子。
もう一方は被害者の娘。
本来なら敵同士ともいえる二人が、同じ真実を知るために協力している。
その関係を、原作では光と影、昼と夜のような正反対の存在として表現しています。
そして、その延長として「白鳥とコウモリ」という言葉が使われます。
つまり、タイトルの一番直接的な意味は、
本来なら一緒に進むはずのない二人が、同じ目的に向かって進んでいくこと
だと考えていいでしょう。
白鳥は美令、コウモリは和真なのか?
では、
白鳥=白石美令
コウモリ=倉木和真
なのでしょうか。
物語の序盤だけを見ると、そう見えます。
美令は、殺された白石健介の娘。
つまり「被害者側」です。
一方の和真は、殺人を自供した倉木達郎の息子。
つまり「加害者側」に見えます。
白石という名字にも「白」という字が入っていますし、白鳥という言葉から美令を連想するのは自然です。
対して、暗い場所を飛ぶコウモリは、殺人犯の家族という重い立場を背負う和真と重なって見えます。
ただ、物語が進むと、この分け方は崩れていきます。
真相を知ると「白鳥とコウモリ」を簡単に分けられなくなる
『白鳥とコウモリ』の面白いところは、最初に見えていた被害者と加害者の関係が、真相によって変わっていくことです。
現在の事件では、白石健介は殺された被害者です。
しかし過去の事件では、白石自身が人を殺していました。
反対に、殺人犯として自供した倉木達郎は、現在の白石殺害も、過去の殺人も実際には犯していません。
つまり、
被害者だと思っていた人物が加害者でもあり、加害者だと思っていた人物が殺人犯ではなかった。
物語が進むほど、最初に見えていた白と黒が入れ替わっていきます。
そう考えると、白鳥とコウモリは特定の人物を固定して表しているというより、立場によって変わる人間の見え方まで含んでいるように感じます。
「白」と「黒」で人を分けられない物語
タイトルには、作品全体のテーマも表れているように思います。
普通の殺人事件なら、
被害者。
犯人。
善人。
悪人。
というように、立場を分けて考えたくなります。
しかし『白鳥とコウモリ』では、それが簡単にできません。
白石健介は殺された被害者ですが、過去には重大な罪を犯しています。
倉木達郎は殺人を自供しますが、その嘘の背景には、過去への罪悪感と誰かを守ろうとする気持ちがあります。
安西知希も、過去の事件によって人生を狂わされた家族につながる人物である一方、自分自身が殺人を犯しています。
誰か一人を完全な白、あるいは完全な黒として見ることができません。
だからこそ「白鳥」と「コウモリ」という対照的な存在を並べたタイトルが効いてきます。
白鳥とコウモリは「光と闇」を表している
白鳥とコウモリは、生きる時間やイメージも対照的です。
白鳥には、明るさ、美しさ、白という印象があります。
一方でコウモリには、夜、暗闇、黒という印象があります。
原作でも、二人の関係は「光と影」「昼と夜」のようなものとして表現されています。
つまりタイトルは、
光と闇のように正反対の二人
という意味を持っています。
それでも二人は、同じ真実を知りたいという一点でつながります。
ここがタイトルの中心です。
なぜ和真と美令は一緒に真実を追ったのか
和真と美令は、本来なら近づきにくい関係です。
美令から見れば、和真は父を殺した男の息子。
和真から見れば、美令は父が殺したとされる人物の娘です。
普通なら、相手の顔を見るだけでも複雑な感情が出てくるでしょう。
それでも二人が一緒に行動できたのは、どちらも自分の父親について納得できていなかったからです。
美令は、父がなぜ殺されたのか知りたい。
和真は、父が本当に人を殺したのか知りたい。
立場は反対でも、
「父について本当のことを知りたい」
という目的は同じでした。
だから二人は協力できます。
これこそ、本来なら一緒に飛ばない白鳥とコウモリが、同じ方向へ飛んでいくというタイトルにつながります。
「一緒に飛ぶ」ということ自体が重要
個人的には、「白鳥」と「コウモリ」が何を表しているか以上に、その二つが一緒に飛ぶという考え方が重要だと思います。
白鳥とコウモリは、生き方も時間も違う存在です。
それでも同じ方向へ向かう。
和真と美令も同じです。
生まれた家も、事件で与えられた立場も違います。
それでも、自分たちの親が残したものに縛られるだけではなく、自分たち自身で真実を知ろうとします。
つまり二人が一緒に行動すること自体が、この作品では普通ではないことなのです。
ラストを見るとタイトルの意味がさらに変わって見える
映画のラストまで観ると、「白鳥とコウモリ」というタイトルはさらに意味を持ってきます。
最初の和真と美令は、
加害者の息子と被害者の娘
という関係でした。
しかし真相が明らかになると、その言葉だけでは二人を説明できなくなります。
父親たちの過去を知ったうえで、それでも二人は自分たちの人生を進んでいきます。
映画では、二人のその後について恋愛関係になったと明確には説明されません。
ただ、事件が終われば完全に他人へ戻るという関係にも見えません。
最初は同じ空を飛ぶことなど考えられなかった白鳥とコウモリが、最後には同じ方向を見る。
そう考えると、タイトルには対立だけではなく、希望も含まれているように感じます。
白鳥とコウモリは誰か一人を指しているわけではない
ここまで考えると、
「結局、白鳥は誰でコウモリは誰なの?」
という疑問に対しては、
中心としては美令と和真を表しているが、どちらかを完全に白鳥・コウモリと固定する必要はない
という答えが一番近いと思います。
原作でタイトルにつながる表現が出てくる場面も、二人の「正反対なのに同じ目的へ向かう関係」を表しています。
そして作品全体を見ると、白と黒が簡単に分けられない人物たちが描かれています。
だからタイトルは、美令と和真の関係を中心にしながらも、物語全体を象徴する言葉になっています。
まとめ|『白鳥とコウモリ』は正反対の二人が同じ空を飛ぶ物語
『白鳥とコウモリ』というタイトルには、まず倉木和真と白石美令という正反対の立場にいる二人が重なっています。
容疑者の息子と被害者の娘。
本来なら同じ側に立つはずのない二人です。
それでも、二人は「父親について本当のことを知りたい」という同じ目的で真実を追います。
原作では、その関係が光と影、昼と夜のような正反対の存在として表現され、「白鳥とコウモリ」というタイトルにつながっています。
さらに事件の真相を知ると、誰が被害者で誰が加害者なのか、誰が白で誰が黒なのかという境界まで曖昧になります。
だから『白鳥とコウモリ』は単なる二人の比喩ではありません。
正反対の立場にいる人間が、過去を越えて同じ方向へ進めるのか。
そんな作品全体の問いまで込められたタイトルなのだと思います。
『白鳥とコウモリ』の犯人や事件の真相、東京ドームの嘘、お札、ラストまで詳しく知りたい方はこちら。
映画『白鳥とコウモリ』ネタバレ解説|犯人は誰?東京ドームの嘘・お札・タイトル・ラストまで考察