※この記事には『キングダム』昌平君の今後につながる史実上の重大なネタバレがあります。

『キングダム』で、秦国の軍事を支える重要人物昌平君(しょうへいくん)。

秦国軍総司令として数々の戦略を立て、嬴政の中華統一にも欠かせない存在です。

しかし史実を調べると、かなり驚く経歴が出てきます。

「昌平君は本当に実在した?」

「史実では秦を裏切るの?」

「なぜ楚王になる?」

「最後は蒙武に倒されるの?」

結論からいうと、昌平君は『史記』に登場する実在人物です。

秦王政の時代には秦側で活動し、嫪毐の反乱鎮圧にも参加しました。

ところが秦の楚攻略が進んだ後、楚の将軍・項燕によって王として立てられ、最後は秦に反旗を翻します。

そして翌年、王翦・蒙武率いる秦軍との戦いで死亡します。

つまり史実の昌平君は、

秦を支えた人物が、最後には秦と戦う王になる

という非常にドラマ性の高い人物です。

この記事では、『キングダム』の昌平君と史実を分けながら、実在したのか、なぜ楚側へ回ったのか、最後はどうなったのかまで整理します。

結論|昌平君は実在し、最後は楚王として秦と戦った

まず史実の昌平君を簡単にまとめます。

疑問 史実
昌平君は実在した? 『史記』に登場する実在人物
秦に仕えていた? 秦王政の時代に秦側で活動
嫪毐の乱に参加した? 昌文君とともに反乱鎮圧に関与
秦を裏切った? 最終的には楚側で秦に反旗を翻した
楚王になった? 項燕によって「荊王」に立てられた
最後は? 王翦・蒙武が楚軍を破った戦いで死亡
蒙武が直接倒した? 誰が直接討ち取ったかは史料に記載なし

『キングダム』で現在描かれている昌平君と、史実で迎える最後にはかなり大きな落差があります。

そのため、原作が史実をどのように物語へ落とし込むのか、今後の重要ポイントの一つです。

昌平君は実在した?

はい。実在人物です。

昌平君は、司馬遷の『史記・秦始皇本紀』に名前が登場します。

秦王政、つまり後の始皇帝が中国統一へ向かっていた時代の人物です。

漫画『キングダム』だけのオリジナルキャラクターではありません。

史実の昌平君は何をした人物?

史実で確認できる昌平君の大きな出来事は、主に次の3つです。

  • 秦で活動する
  • 嫪毐の反乱鎮圧に参加する
  • 最後は楚側へ回り、秦と戦う

漫画では秦国の軍略を担う人物として詳しく描かれていますが、史料に残された記述自体はそれほど多くありません。

それでも、秦と楚の双方に関わった非常に重要な人物であることは分かります。

嫪毐の乱で昌文君とともに戦った

昌平君が史料に登場する有名な場面が、嫪毐(ろうあい)の乱です。

秦王政9年、嫪毐が兵を動員して反乱を起こします。

『史記・秦始皇本紀』には、秦王が昌平君と昌文君らに兵を出させ、嫪毐を攻撃したことが記されています。

戦いは咸陽で行われ、嫪毐側は敗北しました。

この記録から、昌平君が秦王政の時代に、反乱鎮圧を任される立場にいたことが分かります。

昌平君と昌文君は同じ人物?

別人です。

名前が非常によく似ていますが、

  • 昌平君(しょうへいくん)
  • 昌文君(しょうぶんくん)

は別の人物です。

『史記』でも、嫪毐の乱を鎮圧する場面で二人の名前が並んで登場します。

『キングダム』でも、昌平君と昌文君はそれぞれ異なる立場から嬴政を支えています。

▶ 『キングダム』昌文君は実在した?史実の人物像を解説

『キングダム』の昌平君はどんな人物?

『キングダム』では、昌平君は秦国軍総司令として登場します。

秦が他国へ侵攻するときには、戦略全体を組み立てる中心人物です。

武力だけで戦う将軍とは違い、

「秦全体をどう動かすか」

を考える軍略家として描かれています。

さらに本人自身も高い武力を持つ人物として描かれています。

昌平君は呂不韋の四柱だった

『キングダム』では当初、昌平君は呂不韋陣営の四柱の一人として登場します。

しかし、単純な「呂不韋の部下」ではありません。

物語が進むにつれて、嬴政が目指す中華統一にも深く関わるようになります。

そのため『キングダム』だけを読んでいると、

「この昌平君が本当に秦を裏切るの?」

と思うほど、秦にとって重要な人物になっています。

史実でも「秦国軍総司令」だった?

『キングダム』とまったく同じ役職だったとは確認できません。

史実の昌平君が秦で有力な立場にあり、兵を動かした記録はあります。

しかし、漫画に登場する、

「秦国軍総司令として全軍の作戦を立案していた」

という詳細な軍事活動が、そのまま『史記』に記録されているわけではありません。

ここは、実在人物をもとに『キングダム』が大きく物語を膨らませている部分です。

昌平君は楚の王族だった?

ここは注意が必要です。

後世の『史記索隠』では、昌平君について楚の公子だったとする説明があります。

一方で、昌平君の本名や楚王家の中での正確な血縁関係まで、『史記』本文からすべて明確に分かるわけではありません。

そのため、

「昌平君は楚王○○の息子だった」

など、具体的な系譜を史実として断定する場合は注意が必要です。

ただ、後に項燕から王として立てられていることから、楚王家と無関係の一般人だったとは考えにくい人物です。

昌平君は史実で秦を裏切った?

最終的には、秦と戦う側へ回ります。

ここが史実の昌平君で最も有名な部分です。

秦王政23年。

秦は王翦を再び起用し、大軍で楚を攻めます。

王翦軍は楚の領土へ侵攻し、楚王を捕らえます。

楚は滅亡寸前まで追い込まれます。

ところが、その後も抵抗を続けた楚の将軍・項燕が、

昌平君を王として立てます。

そして昌平君は、楚側として秦に反旗を翻します。

史記の「荊王」は楚王のこと?

はい。

『史記・秦始皇本紀』では、

「荊将項燕、昌平君を立てて荊王と為し、淮南に反秦す」

という趣旨の記述があります。

ここで使われている「荊」は楚を指します。

そのため、一般的には、

「項燕が昌平君を楚王として立てた」

と説明されます。

なぜ秦は楚を「荊」と呼んでいる?

『史記』の注釈では、秦の荘襄王の名が子楚だったため、「楚」の字を避けて「荊」と呼んだと説明されています。

そのため、

荊王=別の国の王

という意味ではありません。

この場面では、楚王と考えて問題ありません。

昌平君はなぜ秦を裏切った?

詳しい理由は分かっていません。

ここは非常に重要です。

『史記』には、

なぜ昌平君が秦を離れたのか。

なぜ楚の王になることを受け入れたのか。

秦王政とどのようなやり取りがあったのか。

といった心理までは記録されていません。

そのため、

「昌平君は最初から秦を裏切るつもりだった」

「楚のために秦へ潜入していた」

と史実として断定することはできません。

秦にいた昌平君が、なぜ楚王に選ばれた?

これも史実の大きな謎です。

秦に長くいた人物を、なぜ項燕が滅亡寸前の楚の王として立てたのか。

後世の注釈にある「楚の公子」という説明を考えれば、楚王家との血縁が王として担ぎ出された理由だった可能性はあります。

ただし、

項燕が昌平君を選んだ具体的な理由を説明する詳細な史料は残っていません。

ここは『キングダム』作者が物語を作るうえで、かなり大きな余白が残されている部分です。

昌平君はいつ秦を離れた?

『史記・秦始皇本紀』には、秦王政21年に、

「昌平君、郢に徙る」

という記録があります。

つまり昌平君は、楚との最終決戦より前に郢へ移されています。

その2年後、項燕によって王として立てられます。

この「郢への移動」が、昌平君が秦から楚側へ移っていくうえで重要な出来事だった可能性があります。

ただし、なぜ郢へ移されたのかについて、『史記』本文は詳しく説明していません。

『キングダム』でも昌平君は秦を裏切る?

ここからは、史実をもとにした今後の展開についての考察です。

史実では、昌平君が最終的に秦と戦うことは記録されています。

そのため『キングダム』でも、史実の大きな流れを採用するなら、

昌平君が秦を離れて楚側へ回る展開

が描かれる可能性があります。

ただし、問題は、

「なぜそうするのか」

です。

史料に詳細がないからこそ、『キングダム』では昌平君の決断までの過程が大きなドラマとして描かれる可能性があります。

『キングダム』では単純な「裏切り」にならない?

ここからも考察です。

現在の昌平君は、秦の中華統一戦略を担う中心人物です。

嬴政の目標も理解しています。

多くの秦将とも深い関係があります。

その人物が突然、

「やっぱり楚へ行きます」

では、物語として不自然です。

そのため『キングダム』では、

  • 楚への出自
  • 嬴政の中華統一
  • 秦による楚侵攻
  • 昌平君自身の理想
  • 蒙武との関係

などを絡めながら、昌平君が大きな決断を下す展開になる可能性があります。

ただし、これは原作未描写部分についての考察です。

昌平君と嬴政は最後に敵同士になる?

史実の結果だけを見れば、

昌平君は秦王政が進める楚征服へ抵抗する側

になります。

つまり政治・軍事上は敵対することになります。

しかし『キングダム』では、昌平君と嬴政の関係が史料以上に深く描かれています。

そのため、実際に敵対する場面が描かれるなら、

単純な敵味方の変化以上の意味を持つ

可能性があります。

昌平君と蒙武の関係が重要になる?

『キングダム』で特に注目されるのが、昌平君と蒙武です。

史実では、昌平君の最後の戦いに、

王翦と蒙武

が秦軍側として登場します。

『史記』には、

王翦・蒙武が楚を攻め、楚軍を破り、昌平君が死亡した

と記されています。

『キングダム』では昌平君と蒙武の関係が深く描かれているため、この史実を知ると非常に重い意味を持ちます。

▶ 『キングダム』蒙武は実在した?史実の将軍像を解説

昌平君の最後はどうなる?

史実では、秦王政24年。

王翦と蒙武が楚軍を攻撃します。

『史記・秦始皇本紀』には、

「荊軍を破り、昌平君死す」

という記録があります。

つまり昌平君は、

秦側の有力者

から、

楚の王

となり、最後はかつて仕えていた秦軍との戦いで死亡します。

その後、項燕も命を落とし、楚は秦によって制圧されていきます。

昌平君を倒したのは蒙武?

史実では断定できません。

『史記』には王翦と蒙武が楚軍を攻撃し、昌平君が死亡したことは記録されています。

しかし、

「蒙武が昌平君を直接討ち取った」

とは書かれていません。

誰が最後の一撃を与えたのか。

戦場でどのように死亡したのか。

そこまでは分かりません。

そのため、

史実:王翦・蒙武軍との戦いで昌平君が死亡

不明:誰が昌平君本人を討ったのか

と分けるのが正確です。

『キングダム』では蒙武VS昌平君になる?

これは原作の今後についての考察です。

史実では蒙武が昌平君の最期となる戦いに参加しています。

さらに『キングダム』では、二人の関係が強く描かれています。

そのため、

「最後は蒙武と昌平君が直接戦うのでは?」

という予想が生まれるのは自然です。

ただし、史実に直接対決したという記録はありません。

原作がどのように描くかは、現時点では分かりません。

項燕とは誰?なぜ昌平君を王にした?

項燕は、楚の最後を支えた有力将軍です。

秦による楚攻略に抵抗し続けました。

そして楚王が秦に捕らえられた後、昌平君を新しい王として立てます。

つまり昌平君が楚王となる最後の局面で、非常に重要なのが項燕です。

なお、項燕は後に秦を滅ぼす側で活躍する項羽の祖父としても知られています。

史実の昌平君を時系列で整理

秦王政9年
→ 嫪毐の乱。昌文君らと反乱鎮圧に関与。

秦王政21年
→ 『史記』に「昌平君、郢に徙る」と記録。

秦王政23年
→ 王翦が楚を攻撃。楚王が捕らえられる。

同年
→ 項燕が昌平君を「荊王」として立て、秦に反旗を翻す。

秦王政24年
→ 王翦・蒙武が楚軍を破る。昌平君が死亡。

秦で重要な立場にいた人物が、数年後には秦と戦う王になっています。

史料にはその間の詳しい心情が書かれていないため、非常に謎の多い人物です。

『キングダム』と史実の昌平君の違い

項目 史実 『キングダム』
実在 実在 実在人物をモデルに登場
秦で活動 確認できる 秦の重要人物
嫪毐の乱 鎮圧に関与 史実を取り入れて描写
秦国軍総司令 同じ役職名は確認できない 秦国軍総司令
呂不韋四柱 史実の記録ではない 四柱の一人
楚との関係 後に楚王として立てられる 今後の重要要素
秦への反乱 史実 今後どう描くか注目
死亡 王翦・蒙武軍との戦いで死亡 未描写

昌平君は「裏切り者」なのか?

史実の出来事だけを見ると、

秦で活動していた人物が、最後に秦へ反旗を翻した

ので、「裏切った」と表現されることがあります。

しかし、その一言だけでは分からないことも多くあります。

昌平君が秦にどの程度の忠誠心を持っていたのか。

楚王家との関係をどう考えていたのか。

なぜ郢へ移ったのか。

なぜ最後に王になる決断をしたのか。

これらの詳しい事情は、史料にはほとんど残されていません。

そのため、史実として言えるのは、

「最終的に楚側で秦へ反乱した」

ところまでです。

その動機を単純な裏切りと決めつけることはできません。

昌平君が『キングダム』で重要な理由

昌平君は、単に強い将軍というだけの人物ではありません。

秦の軍略を支え、嬴政の中華統一に深く関わっています。

だからこそ、史実通りに楚側へ回ることになれば、

秦にとって非常に大きな喪失

になります。

しかも最後に対峙する秦軍には、王翦と蒙武がいます。

原作者がこの史実をどう物語として描くのか。

昌平君は、『キングダム』終盤へ向けて特に注目すべき人物の一人です。

昌平君についてよくある疑問

昌平君は実在した?
→ はい。『史記』に登場します。

昌平君は秦の人?
→ 秦で活動しましたが、後世の注釈では楚の公子とされています。

秦を裏切る?
→ 史実では最後に楚側で秦へ反旗を翻します。

楚王になる?
→ 『史記』では項燕によって「荊王」に立てられます。荊は楚を指します。

なぜ裏切った?
→ 詳しい理由は史料に残っていません。

最後はどうなる?
→ 王翦・蒙武軍が楚軍を破った戦いで死亡します。

蒙武が倒す?
→ 蒙武は戦いに参加していますが、直接討ち取ったとは史料にありません。

昌平君を原作で読み返したい方へ

昌平君が史実では最後に楚側へ回る人物だと知ってから『キングダム』を読み返すと、嬴政や蒙武との会話、秦の中華統一へ向き合う場面の見え方も変わってきます。

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まとめ|昌平君は秦を支えた後、最後は楚王として秦と戦った

昌平君は、漫画だけの人物ではありません。

『史記』に登場する実在人物です。

秦王政の時代には秦側で活動し、嫪毐の乱では昌文君らと反乱鎮圧に関与しました。

しかしその後、昌平君は郢へ移ります。

そして秦による楚攻略が進んだ秦王政23年、項燕によって王として立てられ、秦へ反旗を翻します。

翌24年、

王翦・蒙武軍が楚軍を破り、昌平君は死亡します。

ただし、

  • なぜ秦を離れたのか
  • なぜ楚王になることを決めたのか
  • 秦王政と最後にどのような関係だったのか
  • 誰が昌平君を直接討ち取ったのか

といった詳しい事情は分かっていません。

だからこそ、『キングダム』では大きな物語を作る余地が残されています。

秦国軍総司令として中華統一を支える昌平君が、なぜ最後には秦と戦うことになるのか。

史実を知ると、これからの昌平君の言動そのものが非常に重要に見えてきます。