『余命一年、男をかう』恋愛映画なの?余命ものなのに重すぎない理由を考察
※この記事は映画配信前の公式情報と原作をもとに、一部考察を含めています。
『余命一年、男をかう』というタイトルを見ると、
「余命ものだからかなり泣ける重い映画?」
と思う方もいるかもしれません。
確かに主人公・片倉唯(柴咲コウ)は余命一年を宣告されます。
しかしNetflixは本作を、ヒューマンドラマであると同時にラブロマンスとして分類しています。
さらに瀬名吉高(赤楚衛二)との72万円から始まる関係には、ユーモアも多く盛り込まれています。
なぜ「余命一年」という重い題材なのに、作品全体は重苦しさだけにならないのでしょうか。
結論|「死ぬまでの物語」より「生き始める物語」だから
『余命一年、男をかう』の大きな特徴は、主人公が余命宣告を受けた瞬間から悲しみに沈む作品ではないことです。
唯が最初に強く感じるのは、恐怖だけではありません。
「もう節約しなくていい」
という解放感です。
ここから、一般的な余命ものとは少し違う物語が始まります。
余命宣告で唯は自由になる
唯は長い間、老後を不安に思って生きてきました。
一人で生活するためにお金を貯める。
無駄遣いはしない。
恋愛も結婚もコスパが悪ければ避ける。
ところが余命一年なら、その長い老後自体がありません。
死が迫ったことで、皮肉にも唯は初めて自由になります。
72万円という始まりからして少しおかしい
そんな唯の前に現れた瀬名は、突然お金を貸してほしいと頼みます。
そして唯は72万円を出します。
余命一年の女性が、初対面に近いピンク髪のホストを72万円で“買う”。
設定自体がかなり型破りです。
悲劇一辺倒ではなく、少し奇妙でおかしな状況から始まることが作品の軽やかさにつながっています。
Netflixも「チャーミングでユーモア」と紹介
Netflixは本作について、余命という題材を新たな視点で描き、チャーミングでユーモアあふれる世界観を持つ作品として紹介しています。
つまり制作側も、単純な悲しい余命映画にはしていません。
「大人のシンデレラストーリー」でもある
Netflixが使っているもう一つの表現が、「大人のシンデレラストーリー」です。
ただし、王子様に救われる普通のシンデレラ物語とは少し違います。
唯が買ったのは王子様ではなく、金に困ったホスト。
しかも唯自身も、誰かに救ってもらうことを望んでいた女性ではありません。
正反対の2人の会話がおもしろさになる
唯は合理性と節約を重視します。
瀬名は人との関係の中で生きてきました。
考え方があまりにも違うため、2人の会話そのものが物語のテンポを作ります。
重い病気の話をしていても、唯の極端な合理性や瀬名の反応によって、必要以上に暗くなりません。
唯が叶える夢も大げさではない
唯が瀬名と体験するのは、世界一周旅行や豪華客船の旅ばかりではありません。
公式では、
- プレミアムシートで映画を見る
- ゲームセンターへ行く
- デパ地下で好きなものを買う
といった小さな楽しみが紹介されています。
だからこそ、観客にも身近に感じられます。
「余命一年でやりたいこと」が普通なのがいい
唯が今まで我慢してきたのは、特別な夢ではありません。
少し贅沢な映画鑑賞。
遊び。
好きな食べ物。
誰かと一緒に過ごすこと。
こうした日常の楽しさを初めて知ることが、作品の明るさにつながります。
恋愛もすぐには始まらない
唯と瀬名は、出会った瞬間に恋へ落ちるわけではありません。
最初は金銭契約。
だから、普通の恋愛映画とは違うやり取りが続きます。
恋愛と金銭の境界が曖昧なまま、少しずつ距離が縮まります。
『余命一年、男をかう』唯と瀬名は恋愛関係になる?2人の関係を解説
恋愛映画なのに「好き」だけでは解決しない
2人には72万円という金銭関係があります。
唯は、瀬名が自分の金を目的にしているのではないかと疑います。
瀬名側にも家族や借金などの問題があります。
そのため、ただ告白して付き合えば終わりという恋愛ではありません。
重さはちゃんと残っている
もちろん本作が明るいだけの映画という意味ではありません。
余命。
病気。
借金。
DV。
家族とのわだかまり。
孤独。
登場人物たちはさまざまな問題を抱えています。
それでも、問題を抱えながら生きる人たちの日常には笑いや楽しさもある、という描き方になっています。
「笑える」と「深刻」は両立する
ここがこの作品の特徴です。
つらい状況にいる人が、一日中つらい顔だけをしているわけではありません。
病気でも笑う。
借金があっても人を好きになる。
未来が短くても映画を楽しむ。
そうした現実的な感情の混在が、作品を重すぎないものにしています。
原作も「涙だけ」の余命小説ではない
原作も、余命一年という設定だけで読者を泣かせる作品ではありません。
唯の合理的すぎる考え方や、瀬名とのやり取りには独特のユーモアがあります。
その一方で終盤では、人との関係を持つことの怖さや喜びへ踏み込んでいきます。
最終的なテーマは「生きたい」に変わること
唯は最初、余命一年を受け入れています。
しかし瀬名と時間を共有し、楽しいことを知るほど、未来が欲しくなります。
この物語が本当に描いているのは、死を受け入れる方法というより、
生きることをもう一度好きになる過程
です。
「余命一年」という設定が恋愛を強くする
普通なら、関係をゆっくり育てる時間があります。
しかし唯には一年しかない。
だから瀬名と過ごす一日一日の意味が大きくなります。
楽しい時間を知れば知るほど、それを失う怖さも大きくなる。
余命設定は恋愛の悲しさだけでなく、幸せの濃さも強くしています。
まとめ|余命もの+ラブロマンス+ユーモアの映画
『余命一年、男をかう』は恋愛映画です。
Netflix公式でもラブロマンスに分類されています。
しかし単純な恋愛映画でも、単純な余命映画でもありません。
死を告げられて初めて自由になる女性。
72万円で出会ったホスト。
人生初の無駄遣い。
小さな楽しみ。
そして、もう少し生きたいと思うようになること。
余命という重い題材を、ユーモアと恋愛で包みながら「生きるって案外悪くない」と思えるところまで描くのが、この作品の魅力になりそうです。
関連記事
『余命一年、男をかう』“生きるのって悪くない”の意味は?作品テーマを考察
『余命一年、男をかう』唯と瀬名は恋愛関係になる?2人の関係を解説
『余命一年、男をかう』片倉唯は本当に死ぬ?余命一年の結末を解説
映画のもとになった原作を読みたい方へ
映画とはまた違うテンポで、唯の考え方や瀬名との関係を楽しめます。
