『オデュッセイア』なぜポセイドンの怒りを買った?オデュッセウスが呪われた理由を解説
※この記事には映画『オデュッセイア』のポリュペモスとの戦い、ポセイドン、原典との違いについてネタバレがあります。
『オデュッセイア』では、オデュッセウスの帰還を何度も邪魔する存在として海神ポセイドンが語られます。
そこで気になるのが、
「そもそも、なぜポセイドンはオデュッセウスに怒っているの?」
という疑問です。
結論から言えば、ホメロスの原典では理由がはっきりしています。
オデュッセウスが、ポセイドンの息子ポリュペモスの目を潰したから。
です。
ただしノーラン版映画では、この因果関係の見せ方が原典からかなり変更されています。
結論|原典では「息子ポリュペモスを盲目にしたこと」が直接の原因
ポリュペモスは一つ目の巨人キュクロプスです。
そして原典では、
海神ポセイドンの息子。
と明確にされています。
オデュッセウスは仲間とともにポリュペモスの洞窟へ入り、閉じ込められます。
ポリュペモスは仲間を殺して食べ始めます。
そこでオデュッセウスは、生き残るためポリュペモスの唯一の目を潰します。
ポリュペモスの目を潰したのは復讐だけではない
オデュッセウスがポリュペモスの目を潰したのは、単に仲間を殺されたからではありません。
最大の目的は、
洞窟から逃げること。
です。
巨大なポリュペモスを正面から倒すことは困難。
そこで視力を奪い、脱出の機会を作りました。
▶ 『オデュッセイア』キュクロプスとは何者?ポリュペモスの正体と目を潰した理由
原典ではポリュペモスがポセイドンへ祈る
ここが非常に重要です。
ホメロスの原典では、オデュッセウスたちが脱出したあと、ポリュペモスは父ポセイドンへ祈ります。
その内容は大まかに言えば、
オデュッセウスを故郷へ帰らせないでほしい。
もし帰る運命なら、
仲間を失い、長い年月をかけ、苦しんだ末に帰らせてほしい。
という恐ろしい願いです。
この祈りがその後の物語そのものになる
実際、オデュッセウスはすぐイタカへ帰れません。
旅は約10年。
仲間は全滅。
自分だけが生き残ります。
つまりポリュペモスの願いは、物語のその後とほぼ重なっています。
原典ではオデュッセウス自身の「慢心」も原因
原典のこの場面には、さらに重要な出来事があります。
オデュッセウスは最初、ポリュペモスへ本名を教えません。
有名な、
「自分の名はNobody=誰でもない」
という策略です。
そのためポリュペモスが助けを求めても、周囲のキュクロプスには意味が通じません。
ところが逃げたあと、本名を名乗ってしまう
安全な場所まで逃げたオデュッセウスは、勝ち誇ってしまいます。
そして、
自分こそオデュッセウスだ。
と本名を明かします。
これによってポリュペモスは、誰を呪えばいいのか正確に知ることになります。
▶ 『オデュッセイア』なぜ本名を名乗った?オデュッセウス最大の失敗を解説
つまり原典では「勝ったあとの慢心」が致命傷
オデュッセウスは頭脳で怪物を出し抜きました。
ところが最後の最後で自分の功績を誇りたくなった。
それによって敵へ自分の名前を教え、神の怒りを招きます。
この場面は、オデュッセウスという人物の、
知恵と慢心の両方
を象徴する有名なエピソードです。
では映画版も同じ?
完全には同じではありません。
ここは注意が必要です。
ノーラン版では、原典で有名な、
「Nobody」と名乗る策略。
逃げたあとに本名を明かす場面。
ポリュペモスが父ポセイドンへ長い祈りを捧げる場面。
が大きく省略されています。
映画版のポリュペモスは原典より怪物的
原典のポリュペモスはオデュッセウスと会話します。
しかし映画では言葉による駆け引きが大幅に減っています。
そのため、
「策略で巨人を出し抜いた」
という要素より、
「巨大な怪物から必死に生き延びる」
という恐怖が強調されています。
映画ではポセイドン本人も前面に出てこない
ノーラン版では、神々を人間の前に次々と実体化させる描き方をしていません。
ポセイドンも、原典のように直接登場してオデュッセウスを追い回すキャラクターとしては描かれません。
海。
嵐。
偶然。
神の怒り。
それらの境界をあえて曖昧にしています。
だから映画だけを見ると「本当にポセイドンの仕業?」とも見える
これはノーラン版の面白いところです。
古代の人々なら、海で起きる災害を神の怒りと考える。
現代の観客から見れば、自然現象にも見える。
映画では両方の見方ができるように描いています。
さらに映画ではトロイでの行為も神々の怒りにつながる
映画版では、オデュッセウスたちがトロイを攻め落とした際の行動も重要です。
神殿で人々を殺し、アテナの像まで傷つける。
こうした行為によって、
「オデュッセウスたちは神々の秩序を踏みにじった」
という意味が加わっています。
ポセイドンの怒り=一つの事件だけではない?
ここからは映画版についての考察です。
原典ではポリュペモスの件が明確な原因です。
一方、映画版では神々の怒りをより広く、
オデュッセウスたちの戦争・傲慢・暴力への報い
として描いているようにも見えます。
だから「ポセイドンに怒られた理由」を映画版だけで一つに決めすぎると、少し違います。
それでもポリュペモスが重要なのは変わらない
映画でもポリュペモスはポセイドンにつながる存在です。
そしてその後の海上での苦難を理解するうえで、キュクロプスの事件は重要です。
原典を知っている観客なら、
「ここからポセイドンの復讐が始まる」
と分かる構成になっています。
なぜポセイドンはオデュッセウスをすぐ殺さない?
原典でも、ポセイドンはオデュッセウスを即座に殺すわけではありません。
むしろ、
故郷へ簡単に帰れないようにする。
という形で苦しめます。
ここが物語の重要なポイントです。
帰りたいのに帰れない。
故郷が近づいても遠ざかる。
仲間を一人ずつ失う。
その長い苦しみこそが罰になっています。
アテナはなぜ助ける?
一方、オデュッセウスを助ける神として重要なのがアテナです。
『オデュッセイア』では、
ポセイドンが帰還を妨げる側。
アテナが帰還を助ける側。
という対比があります。
▶ 『オデュッセイア』アテナは何者?なぜオデュッセウスを助け続けたのか
ゼウスは敵なのか味方なのか?
さらに神々全体を見ると、単純に全員がオデュッセウスを嫌っているわけではありません。
原典では他の神々が帰還を認める中、特にポセイドンが怒りを持ち続けています。
▶ 『オデュッセイア』ゼウスは味方?敵?神々とオデュッセウスの関係を整理
まとめ|原典ではポセイドンの息子を傷つけたことが直接の原因
整理すると、
ポリュペモスはポセイドンの息子。
オデュッセウスは脱出するため、その目を潰した。
原典ではオデュッセウスが逃走後に本名を明かす。
ポリュペモスが父ポセイドンへ復讐を願う。
その後、ポセイドンがオデュッセウスの帰還を妨げ続ける。
という流れです。
ただし映画版では、
「Nobody」の策略や本名を名乗るくだり、ポセイドンへの祈りは大幅に省略。
されています。
映画と原典を分けて理解すると、なぜオデュッセウスの旅がここから急激に苦しくなるのかが分かりやすくなります。
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『オデュッセイア』を原典でも読みたい方へ
ポリュペモスとオデュッセウスの有名な言葉の駆け引きや、ポセイドンへの祈りまで詳しく読みたい方は、映画では省略された場面も収められている原典がおすすめです。
