※この記事には実写映画『ルックバック』終盤の重大なネタバレがあります。

実写映画『ルックバック』で、京本の死を知った藤野は深い悲しみに沈みます。

そして藤野は、単に「京本が死んで悲しい」と感じるだけではありません。

「自分が漫画を描かなければよかった」

というところまで自分を責めてしまいます。

しかし、藤野が京本を事件に巻き込んだわけではありません。

犯人と藤野にも直接の関係はありません。

それなのに、なぜ藤野は自分に責任があるように考えてしまったのでしょうか。

この記事では、事件そのものや犯人についてではなく、京本を失ったあとに藤野が抱える罪悪感だけに絞って解説します。

結論|藤野は「自分が京本の人生を変えた」と考えてしまった

藤野が自分を責めた最大の理由は、

自分と出会わなければ、京本の人生は違う方向へ進んでいたのではないか。

と考えてしまったからです。

藤野と出会ったことで、京本は部屋の外へ出ます。

二人で漫画を描き始めます。

その後、京本はさらに絵を学ぶために進学します。

そして、その先で事件に巻き込まれます。

藤野の中では、この出来事が一本の線でつながってしまいます。

自分が京本を外へ連れ出した。

自分が一緒に漫画を描いた。

その影響で京本は絵の道へ進んだ。

その結果、事件の場所へ行くことになった。

だから藤野は、最後の事件だけを見るのではなく、もっと前までさかのぼって、

「そもそも自分が漫画を描いていなければ」

と考えてしまうのです。

藤野が直接悪いわけではない

ここは明確に分けて考える必要があります。

京本が事件に遭った直接の原因は、藤野ではありません。

藤野が事件を起こしたわけでもありません。

京本を危険な場所へ送り込んだわけでもありません。

つまり、客観的に見れば、

京本の死を藤野の責任とすることはできません。

しかし大切な人を突然失った藤野は、客観的な因果関係だけでは考えられなくなっています。

結果を知ったあとで過去を振り返り、

「あの時こうしていなければ」

という原因を探し始めてしまいます。

「漫画を描かなければ」は、過去をどこまでも巻き戻した言葉

藤野の「漫画を描かなければ」という考え方は、かなり極端です。

事件直前の行動だけを後悔しているのではありません。

もっと前まで戻っています。

藤野が漫画を描かなければ、京本は藤野の漫画に憧れなかったかもしれない。

京本が藤野に興味を持たなければ、二人は親しくならなかったかもしれない。

二人で漫画を描かなければ、京本が絵の道へ進む決意も違っていたかもしれない。

そうやって因果関係を逆方向へたどっていった結果、

すべての始まりだった「漫画を描くこと」そのものを否定するところまで行ってしまいます。

本当は「京本と出会わなければよかった」と言いたいわけではない

ここが『ルックバック』のつらいところです。

藤野は京本との時間を嫌っているわけではありません。

むしろ逆です。

京本と出会ったこと。

一緒に漫画を描いたこと。

二人で作品を作ったこと。

それらは藤野にとって非常に大切な時間でした。

だからこそ矛盾が生まれます。

京本と出会えてよかった。

しかし同時に、

自分と出会わなければ京本は死ななかったのではないか。

とも考えてしまう。

藤野の罪悪感は、この二つの気持ちが同時に存在しているところから生まれています。

なぜ「犯人が悪い」で終われないのか

普通に考えれば、責任を問うべき相手は事件を起こした人物です。

しかし藤野は、それだけでは気持ちを整理できません。

理由は、犯人について考えても、

「京本を取り戻すことができない」

からです。

過去を変えられない以上、藤野の頭の中では、

「では、どこまで戻れば事件を防げたのか」

という思考が始まります。

そして自分で変えられた可能性のある過去として、一番大きく見えてくるのが、

京本との出会いそのもの

なのです。

藤野が自分を責めるのは、京本の人生に深く関わったから

藤野は京本にとって大きな存在でした。

京本が部屋から外へ出るきっかけにもなりました。

漫画を一緒に作る相手にもなりました。

さらに、京本が自分の絵をもっと学ぼうとする未来にもつながっています。

そのため藤野自身も、

「自分は京本の人生を変えた」

という実感を持っていたと考えられます。

本来、それは悪いことではありません。

藤野との出会いによって京本の世界は広がりました。

しかし事件が起きたあと、その「人生を変えた」という事実が、藤野の中で反転します。

良い方向へ人生を変えたと思っていたのに、その先に死があった。

だから藤野は、自分の影響そのものを疑い始めます。

京本が美大へ進んだことまで自分の責任にしてしまう

京本は藤野とずっと同じ道を歩き続けるわけではありません。

やがて、自分の絵をさらに学ぶために進学します。

これは京本自身が選んだ人生です。

しかし事件後の藤野には、そう簡単には切り分けられません。

「自分と漫画を描かなければ、京本はそこへ行かなかったかもしれない」

と考えてしまいます。

京本が美大へ進んだ理由については、こちらの記事で詳しく整理しています。

▶ 実写映画『ルックバック』京本はなぜ美大へ進んだ?藤野と離れた理由

重要なのは、京本自身の選択まで藤野が自分の責任として背負ってしまっていることです。

「あの時こうしていれば」という後悔には答えがない

藤野が苦しむ理由の一つは、過去について考えても答えが出ないことです。

漫画を描かなければ本当に京本は助かったのか。

藤野と出会わなければ、別の出来事が起きなかったと言い切れるのか。

京本が別の進路を選んでいれば、その後ずっと安全だったのか。

誰にも分かりません。

しかし結果を知っている藤野からすると、

「少なくともこの道を歩かなければ、あの日あの場所にはいなかった」

という考えに引っ張られてしまいます。

そのため、原因を探すほど藤野自身の過去へ戻っていくことになります。

藤野の罪悪感と「別世界」の場面はつながっている

終盤では、元の現実とは違うように見える展開が描かれます。

そこでは、京本が事件から助かる可能性が示されます。

この場面は藤野の罪悪感と無関係ではありません。

藤野が考え続けているのは、

「もし違う選択をしていたら」

ということだからです。

ただし、別世界が本当に存在するのか、藤野の想像なのかという問題はこの記事の中心ではありません。

その解釈はこちらで詳しく整理しています。

▶ 実写映画『ルックバック』別世界のような場面は何?パラレルワールドなのか考察

空手で犯人を倒す藤野は「罪悪感の説明」ではなく、その先の願い

別の可能性の中では、藤野自身が京本のもとへ現れ、犯人へ立ち向かいます。

この場面は、藤野がなぜ罪悪感を抱いたのかを説明する場面というより、

「本当は京本を救いたかった」

という願いが形になった場面と見ることができます。

そのため、罪悪感そのものと空手のアクション場面は分けて考えたほうが整理しやすいです。

▶ 実写映画『ルックバック』空手で犯人を倒す藤野は現実?あの場面を解説

京本が助かる世界を見ても、元の現実が消えるわけではない

もう一つ重要なのは、別の可能性が描かれたからといって、藤野が経験した現実までなかったことになるわけではない点です。

藤野が京本を失った悲しみ。

自分を責めた時間。

漫画そのものを否定したくなる気持ち。

それらは残っています。

京本が助かる場面が何を意味するのかについては、こちらの記事で詳しく整理しています。

▶ 実写映画『ルックバック』京本が助かる場面は現実?藤野の妄想?

では、なぜ最後に藤野はまた漫画を描けるのか

藤野は一度、漫画そのものを否定したくなるところまで追い詰められます。

なぜなら、

漫画を描いたことが京本との出会いにつながり、その先に京本の死があった。

と考えてしまったからです。

しかし同時に、藤野にとって漫画は京本を失う原因だけではありません。

漫画があったから京本と出会えました。

漫画があったから二人で過ごせました。

漫画があったから二人で作品を残せました。

つまり藤野にとって漫画は、

京本を失ったことと結びついているもの。

であると同時に、

京本と出会えたことそのものでもある。

のです。

藤野が再び漫画を描き始める理由については、こちらの記事で詳しく整理しています。

▶ 実写映画『ルックバック』藤野はなぜまた漫画を描き始めた?

「漫画を描かなければ」は本心そのものではない

藤野の「漫画を描かなければ」という言葉だけを見ると、

「京本と出会ったことを後悔している」

ようにも見えます。

しかし作品全体を見ると、それだけではありません。

本当に京本との出会いを消したいのであれば、二人で過ごした時間そのものまで否定することになります。

藤野が苦しんでいるのは、京本との時間が大切だったからです。

だから「漫画を描かなければ」という言葉は、

京本との出会いを後悔した言葉というより、京本を救えなかった自分が過去へ原因を探した結果たどり着いた言葉

と考えたほうが分かりやすいです。

藤野は「自分にできたこと」を探し続けている

事件は藤野の力では防げないものでした。

しかし、それをそのまま受け入れることは簡単ではありません。

もし自分に何もできなかったと認めてしまえば、

京本の死を変える方法が最初から何もなかった

という事実とも向き合うことになります。

だから藤野は、

「自分があれをしなければ」

「自分が別の選択をしていれば」

と、自分に変えられた過去を探します。

自分を責めることは苦しいことですが、同時に、

「自分に何かできた可能性があった」

と考えることでもあります。

藤野の罪悪感が簡単には消えない理由の一つは、ここにあります。

まとめ|藤野が自分を責めたのは、京本との出会いまで原因をさかのぼったから

藤野が京本の死後に「漫画を描かなければ」と考えた理由を整理すると、

藤野自身が事件を起こしたわけではない。

しかし藤野は、自分との出会いが京本の人生を大きく変えたと感じていた。

京本の死を知ったあと、その人生の変化まで自分の責任のように考えてしまった。

原因を過去へさかのぼった結果、「自分が漫画を描かなければ」というところまで戻ってしまった。

それでも本当に後悔しているのは京本との出会いそのものではない。

ということになります。

藤野の罪悪感は、

「京本と出会わなければよかった」

という単純な後悔ではありません。

「京本と出会えてよかった。でも、自分と出会わなければ京本は死ななかったかもしれない」

という、両立しない二つの思いに挟まれているからこそ苦しいのです。

そして『ルックバック』は、その苦しみを乗り越えて「京本との時間を消す」のではなく、藤野が再び漫画へ戻っていくところまで描いています。


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