※この記事には『トモダチ100人よべるかな?』シーズン2全体の内容についてネタバレがあります。

『トモダチ100人よべるかな?』シーズン2を見ていて、一番引っかかるのが、

「役に立つ友達」

「役に立たない友達」

という考え方です。

シーズン2では、トモダチが実際にゲームへ参加します。

足が速い。

クイズが強い。

度胸がある。

チームをまとめられる。

そういう友達は明らかに戦力になります。

では、ゲームで活躍できない友達には価値がないのでしょうか。

結論|ゲームでは役割に差がある。でも友情の価値とは別

シーズン2のルール上、

ゲームで役に立つ人と、出番が少ない人

は確かに出てきます。

しかし、

ゲームの戦力としての価値

友達としての価値

はまったく別です。

むしろ番組は、その嫌なズレをわざと見せているように感じます。

シーズン1は友達を「人数」で測った

シーズン1もかなり残酷でした。

友達を、

37人。

30人。

と人数で数えます。

来なかった人。

帰った人。

最後まで残った人。

友情を数字に変えてしまう番組でした。

▶ 『トモダチ100人よべるかな?』シーズン1感想・考察|人間関係が見える理由

シーズン2はさらに「能力」で友達を測る

シーズン2では、友達を数えるだけではありません。

運動できる。

頭がいい。

度胸がある。

走れる。

ゲームによって、

「この友達は使える」

という評価が生まれます。

バカリズムもこの残酷さに触れている

Amazon公式インタビューでバカリズムは、シーズン2について、

役に立つ友達と役に立たない友達がはっきり出る

という趣旨で語っています。

これはシーズン2のルールを非常に分かりやすく表しています。

例えばアスリートは分かりやすく「役に立つ」

増田チームには、

吉田沙保里。

澤穂希。

荒川静香。

高橋大輔。

瀬戸大也。

といったトップアスリートがいます。

ドッジボールやリレーなら、非常に頼もしい存在です。

でもクイズなら別の人が必要

身体能力が高くても、トモダチ退場クイズで必ず強いとは限りません。

逆に運動が苦手でも、知識が豊富ならチームを救えます。

つまり、

「役に立つかどうか」はゲームによって変わる。

絶対的な評価ではありません。

小籔千豊は「競技以外」で役に立った

増田はAmazon公式インタビューで、自分がいない時に小籔千豊がチームをまとめてくれたことを高く評価しています。

これは非常に重要です。

ゲームで1位になる。

クイズへ答える。

速く走る。

だけが戦力ではありません。

チームをまとめる人も必要

142人ものトモダチが集まれば、お互いを知らない人もたくさんいます。

そこで、

声をかける。

励ます。

目的を共有する。

プレイヤーを信じようとまとめる。

数字に出にくい能力

も非常に大切になります。

劇団ひとりは「本気度」でチームを動かす

ベッキーは劇団ひとりをキーパーソンとして挙げています。

一人だけ本気のデスゲームのようなテンションだったというほど、勝負へ入り込んでいました。

これも、

スポーツ能力でも知力でもないチームへの影響

です。

友達に「使える・使えない」を付ける不快さ

ここからは考察です。

普通の人間関係で、

「この友達は役に立つ」

「この友達は使えない」

と考え始めたら、かなり嫌な関係です。

友達は本来、仕事の戦力ではありません。

だからこそシーズン2のルールが嫌で面白い

番組はそれをあえてやります。

この人はドッジボール。

この人はカードゲーム。

この人はクイズ。

この人はリレー。

友達へ役割を与え、能力で分類します。

でもプレイヤーには別の葛藤が出る

能力だけを考えるなら、

一番強い人。

一番速い人。

一番頭のいい人。

だけを呼べばいい。

しかし本当に電話して来てくれるのは、

普段から関係を作ってきた友達

です。

「能力」と「友情」が両方必要

シーズン2では、

強い人を知っているだけではダメ。

その人が自分のために来てくれる関係でなければなりません。

だから結局、能力勝負に見えて、根本にはシーズン1と同じ人望があります。

裏切りが起きた時に本当の価値が見える

終盤では、お見送り芸人しんいちの裏切りをきっかけに疑心暗鬼が広がります。

そして吉村崇と和田まんじゅうが激しく衝突。

ゲームの強さ以上に、

人間関係を立て直せるか

が重要になります。

最終リレーは「能力」から「信頼」へ戻る

最後は1000mトモダチリレー。

もちろん足の速さは重要です。

しかし、

前の人からバトンを受け取る。

次の人へ渡す。

失敗しないと信じる。

最後は非常にシンプルな信頼関係

へ戻ります。

シーズン1と2は真逆のようで同じ

シーズン1は、

「何もしなくても、そばにいてくれる友達」

を試しました。

シーズン2は、

「一緒に何かをしてくれる友達」

を試します。

▶ 『トモダチ100人よべるかな?』シーズン1と2の違い|ルール・人数・勝ち方・賞金を比較

役に立たない友達は本当にいる?

私はいないと思います。

正確には、

「そのゲームで役割がない友達」はいる。

でも、

「友達として役に立たない人」は別の話。

です。

番組だから友達を戦力化しているだけ

ドッジボールなら運動能力。

クイズなら知識。

リレーなら足の速さ。

番組の都合で能力が評価されています。

ゲームが変われば価値も変わります。

むしろ大切なのは「何もできなくても呼びたい人」かもしれない

ここからは考察です。

もし勝つためだけなら、最強のアスリートやクイズ王だけを集めればいい。

でもタイトルは、

『強い人100人よべるかな?』

ではありません。

『トモダチ100人よべるかな?』

です。

勝利に役立つから呼ぶのか、友達だから呼ぶのか

シーズン2の一番嫌で面白い部分は、

この2つが混ざってしまうこと

だと思います。

ゲームに強いから呼ぶ。

でも、そもそも友達でなければ呼べない。

その境界がシーズン2では何度も見えます。

まとめ|「役に立つ」はゲームの評価でしかない

シーズン2では確かに、

運動できる友達。

頭のいい友達。

度胸のある友達。

まとめられる友達。

が戦力になります。

しかし、それはあくまでゲーム上の話です。

友達の価値は、本来、

どれだけ役に立つかでは決まりません。

シーズン2は、友達を能力で分類する嫌なゲームを作ることで、逆に、

「そもそも友達に役に立つことを求める必要があるのか?」

という疑問を浮かび上がらせています。

シーズン1以上にゲーム性は強くなりましたが、最後に残るテーマはやはり、

「トモダチって何?」

なのだと思います。


『トモダチ100人よべるかな?』シーズン2を見たい方へ

誰がゲームで活躍したかだけでなく、直接は目立たなくてもチームを支えていた人を見ると、シーズン2の「友達」の見え方も変わります。