※この記事では、タイタニック号沈没後に生存者を救助したカルパチア号について解説します。

映画『タイタニック』の最後。

極寒の海で一夜を生き延びたローズは救命ボートへ助けられ、その後大型船へ収容されます。

その船がカルパチア号です。

ではカルパチア号は、

どうやってタイタニック号の事故を知ったのでしょうか。

どこから来たのでしょうか。

なぜ沈没前に間に合わなかったのでしょうか。

結論|カルパチア号は救難信号を受け、全速力で約58マイル先から駆けつけた

タイタニック号が救難信号を送った時、カルパチア号は現場から約58マイル離れた場所を航行していました。

無線技師が遭難を知り、ロストロン船長へ報告。

船長はすぐ進路を変更します。

カルパチア号は通常より速い速度で、氷山の存在する夜の北大西洋を進みました。

しかし到着した時には、タイタニック号はすでに海中へ沈んでいました。

カルパチア号とはどんな船?

RMSカルパチアは、キュナード・ラインの客船です。

タイタニック号ほど巨大でも豪華でもありません。

事故当夜はニューヨークからヨーロッパ方面へ航行していました。

最初に救難信号へ気づいたのは無線技師

重要人物が、カルパチア号の無線技師ハロルド・コッタムです。

コッタムは勤務を終えようとしていた時、タイタニック号と通信します。

そこで、

タイタニック号が氷山へ衝突し、救助を求めている

ことを知ります。

もし無線技師が寝ていたら?

当時の船舶無線は、現在のようにすべての船で24時間常時監視されていたわけではありません。

コッタムがもう少し早く通信を終了していたら、タイタニック号の救難をすぐに受け取れなかった可能性があります。

非常に重要なタイミングでした。

ロストロン船長はすぐ船を反転させた

遭難を知ったアーサー・ロストロン船長は、詳細をすべて確認してから動いたわけではありません。

タイタニック号が救助を必要としていると分かると、すぐに進路変更を命じました。

そして現場へ向かう準備を同時に進めます。

カルパチア号は通常以上の速度を出した

カルパチア号の通常速度は約14ノットでした。

しかし事故現場へ向かう際には、約17.5ノットまで速度を上げたとロストロン船長は後に証言しています。

利用可能な蒸気を推進へ集中させるなどして、少しでも早く到着しようとしました。

しかも海には氷山があった

タイタニック号が沈んだ原因は氷山です。

当然、救助に向かうカルパチア号も同じ氷海を進まなければなりません。

暗闇の中。

高速で。

氷山を警戒しながら。

非常に危険な航海でした。

船内では到着前から救助準備を始めた

ロストロン船長は現場へ向かう間に、乗員へさまざまな準備を命じます。

医療設備。

毛布。

温かい飲み物。

食料。

生存者を引き上げるための設備。

つまり、着いてから考えるのではなく、

数百人を救助する可能性を考えながら走っていた

のです。

タイタニック号が沈んだのは午前2時20分ごろ

タイタニック号は1912年4月15日午前2時20分ごろ、完全に沈没しました。

カルパチア号はその時点ではまだ現場へ到着していません。

最初の救命ボートを発見したのは午前4時ごろ

カルパチア号が事故現場へ到着したのは、沈没からかなり時間が経った後です。

夜が明け始めるころ、海上にタイタニック号の救命ボートが見つかります。

そこから一隻ずつ生存者を船へ収容しました。

タイタニック号そのものはもうなかった

カルパチア号の乗員が現場で見たのは、巨大なタイタニック号ではありません。

救命ボート。

氷。

漂流物。

そして事故の痕跡でした。

「不沈船」と呼ばれた巨大客船は、すでに海底へ消えていたのです。

700人余りが救助された

カルパチア号はタイタニック号の生存者を次々収容しました。

資料によって集計方法に若干の差がありますが、一般に700人余りが救助されたとされています。

一方、約1500人が死亡しました。

救出された人々は低体温・疲労状態

救命ボートに乗れた人も、快適だったわけではありません。

夜の北大西洋。

極寒。

濡れた衣服。

数時間の漂流。

家族を失った精神的ショック。

カルパチア号では医療や食事、衣服などの支援が必要でした。

モリー・ブラウンも生存者支援に動いた

救助されたマーガレット・ブラウンは、カルパチア号内で困窮した生存者を支援する活動を始めます。

募金を集め、英語を十分話せない乗客を助けるなどしました。

▶ 『タイタニック』モリー・ブラウンは実在した?“不沈のモリー”のその後を解説

カルパチア号はニューヨークへ向かった

ロストロン船長は生存者を収容したあと、ニューヨークへ向かいます。

タイタニック号の目的地だった街へ、今度は生存者たちを乗せて到着することになります。

ニューヨークでは大勢が待っていた

タイタニック号沈没のニュースは世界へ広がっていました。

カルパチア号がニューヨークへ到着すると、家族や報道関係者など多数が待ち受けます。

しかし生存者名簿の情報は十分ではなく、

家族が助かったのか亡くなったのか分からない

状態で待っていた人も大勢いました。

カルパチア号の乗員は英雄として評価された

ロストロン船長と乗員たちの救助活動は高く評価されました。

後に記念メダルなども贈られています。

マーガレット・ブラウンら生存者も、ロストロン船長へ感謝を伝えています。

なぜもっと近い船が助けなかった?

タイタニック号の近くにはカルパチア号以外の船も存在していました。

特に現在まで議論されるのがカリフォルニアン号です。

カリフォルニアン号はタイタニック号より近い場所にいたとされながら、救難信号をすぐ無線で受け取ることができませんでした。

この問題は事故後の調査でも大きな論点になっています。

カルパチア号自身はその後どうなった?

カルパチア号はタイタニック号救助後も運航を続けました。

しかし第一次世界大戦中の1918年、ドイツの潜水艦による攻撃を受け沈没しています。

タイタニック号生存者を救った船自身も、現在は海底に眠っています。

まとめ|生存者を救ったのは「偶然近くにいた船」だけではなかった

カルパチア号が生存者を救えた背景には、

無線技師コッタムが救難信号を受信したこと。

ロストロン船長が即座に進路を変えたこと。

氷海を通常以上の速度で進んだこと。

到着前から救護準備を進めたこと。

があります。

タイタニック号そのものを救うには間に合いませんでした。

しかしカルパチア号が駆けつけなければ、救命ボートに乗っていた人々もさらに危険な状態になっていたでしょう。

タイタニック号の物語には、沈んだ船だけでなく、救助のため夜の氷海を走ったもう一隻の船があった

のです。


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ラストでローズたちを救う船がカルパチア号だと分かってから見ると、救助船が現れる場面にも実際の救難活動の背景が見えてきます。