※この記事には、映画・原作『白鳥とコウモリ』の重大なネタバレがあります。

倉木達郎(三浦友和)は、人生で二度、別の人物を守るために真実を隠す選択をします。

33年前には白石健介(中村芝翫)。そして現在では安西知希。

では、なぜ達郎は同じような行動を二度も繰り返したのでしょうか。

この記事では、達郎が真犯人をどう知ったのか、嘘の自白をどう作ったのかには広げず、「なぜ人をかばうのか」という達郎の行動原理だけを考察します。

この記事でわかること

  • 達郎はなぜ白石健介をかばったのか
  • なぜ安西知希まで守ろうとしたのか
  • 2度の行動に共通するもの
  • 達郎の行動は善意だったのか
  • なぜ「守ること」が悲劇につながったのか

結論|達郎は「守ること」と「責任から逃がすこと」を混同した

達郎には、目の前の人を守ろうとする傾向があります。

ただし問題は、相手を支えるだけではなく、その人が負うべき責任まで自分が引き受けようとすることです。

その結果、一人を守ろうとして別の誰かを傷つけることになります。

33年前|達郎は白石健介をかばった

33年前の事件で、達郎は健介が関わった真実を知る立場になります。

しかし、健介の罪をすぐに公にしませんでした。

なぜ達郎がそうしたのかについて、本人の心理がすべて明言されているわけではありません。ここからは考察になりますが、健介の人生を救いたいという思いがあったと見ることはできます。

ただ、その選択によって別の人物へ疑いが向かいました。

白石を守った結果、福間家が傷ついた

本当の真相が明らかにならない中、福間淳二が犯人として疑われます。

つまり達郎は、健介を守ることで問題を消したのではなく、負担を別の人物へ移してしまったことになります。

この経験は、その後の達郎の人生にも影響を残したと考えられます。

33年後|今度は安西知希をかばう

現在の白石健介殺害事件でも、達郎は再び誰かを守る方向へ進みます。

今度の対象が安西知希です。

達郎がどのように知希の犯行を知ったのかや、なぜ自分が犯人だと自白したのかについては別記事で詳しく整理しています。


▶ 『白鳥とコウモリ』倉木達郎はなぜ嘘の自白をした?本当は何を隠していた?

なぜ知希まで守ろうとした?

ここも心理の一部は考察です。

知希は、33年前の事件によって人生を大きく変えられた福間家につながる人物です。

そのため達郎の中では、福間家への後悔や罪悪感と、現在の知希を救いたいという気持ちが重なった可能性があります。

ただし、「福間家への罪悪感が唯一の理由だった」とまでは断定できません。

福間淳二と安西知希は同じではない

ここは非常に重要です。

福間淳二は、実際には灰谷を殺していないのに犯人として疑われた人物です。一方、知希は現在の事件で実際に罪を犯しています。

そのため、福間を救うことと、知希を罪から逃がすことは同じではありません。

達郎は過去への後悔が強いあまり、その違いを見失っていたとも考えられます。

達郎は「償い方」を間違えた

達郎が過去を後悔することと、知希の罪まで引き受けることは別です。

本当に知希を助けるなら、本人に自分の行為と向き合わせるという方法もあります。

罪を隠すことが相手を守ることになるとは限らない。

達郎の二度の行動には、この問題が共通しています。

一人を守るたび、別の誰かが傷つく

時期 守ろうとした人物 影響を受けた人物
33年前 白石健介 福間淳二とその家族
現在 安西知希 倉木和真ら周囲の人々

達郎の問題は、誰かを守ろうとする気持ちそのものではありません。

守るために真実を隠せば、別の人へ苦しみが移ることを二度繰り返してしまった点にあります。

達郎は悪人なのか?

単純な悪人とするのは難しい人物です。

達郎は、自分だけ助かろうとして人を犠牲にしているわけではありません。むしろ自分が罪を背負ってでも誰かを守ろうとします。

しかし、善意から出た行動だからといって、結果まで正しいわけではありません。

善意は本物でも、守り方を間違えた人物。達郎を理解するなら、この表現が近いと思います。

まとめ|達郎は二度「守り方」を間違えた

倉木達郎は、33年前には白石健介を、現在では安西知希を守ろうとします。

どちらにも共通するのは、誰かの人生を救いたいという思いです。

しかし達郎は、その人を支えることと、その人を責任から逃がすことを同じように考えてしまいました。

誰かを守りたいという善意が、別の誰かを傷つける。

達郎は、その矛盾を二度繰り返してしまった人物です。

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