『九条の大罪』タイトルの意味は?「大罪」とは誰の罪なのか考察
※この記事には、Netflixシリーズ『九条の大罪』のネタバレが含まれます。
『九条の大罪』というタイトルを見ると、どうしても気になることがあります。
「九条の“大罪”って、いったい何?」
主人公は弁護士の九条間人(柳楽優弥)。
彼自身が殺人などの凶悪犯罪を繰り返す人物ではありません。
それなのに作品名は『九条の大罪』です。
では「大罪」は九条自身の罪なのか。
犯罪者を弁護することなのか。
それとも作品に登場する社会全体の罪を意味しているのでしょうか。
この記事では、公式に明かされている作品テーマをもとに、『九条の大罪』というタイトルの意味を考察します。
最初に|タイトルの意味に公式の一つの答えは出ていない
まず押さえておきたいのは、原作者やNetflixが、
「九条の大罪というタイトルは○○という意味です」
と一つの答えを明示しているわけではないということです。
そのため、ここから先には作品全体を踏まえた考察を含みます。
一番分かりやすい意味は「悪人を守る九条の罪」
表面的に考えると、「大罪」とは九条の仕事を指しているように見えます。
九条は半グレ、ヤクザ、前科のある人物など、世間から嫌われる依頼人も弁護します。
被害者の立場から見れば、
「なぜこんな犯罪者を助けるのか」
と思うでしょう。
犯罪者を不起訴や釈放に導く九条は、社会から見れば「悪人を守る悪徳弁護士」に見えます。
その意味では、九条の大罪とは、世間が考える「悪人を助ける罪」とも受け取れます。
しかし九条は法律を破っているわけではない
ここでタイトルが面白くなります。
九条は弁護士として、依頼人に認められた権利を守っています。
黙秘権を使う。
証拠を確認する。
身柄拘束からの解放を目指す。
依頼人に有利な主張をする。
これらは本来、弁護士の仕事です。
つまり、法律に忠実であればあるほど「悪人を助けている」と批判されるという矛盾があります。
『九条の大罪』九条間人はなぜ悪人まで弁護する?「悪徳弁護士」の信念を解説
「法律上の正義」と「人間の正義」は同じではない
『九条の大罪』の中心にあるのが、法とモラルのズレです。
Netflixも本作を、「法とモラルの極限クライムエンターテインメント」と位置づけています。
法律的には正しい。
でも感情的には許せない。
逆に、感情的には罰したくても、証拠がなければ法的には処罰できない。
このズレが作品のさまざまな事件で描かれます。
原作者・真鍋昌平が語った作品テーマ
Netflixシリーズ制作発表の際、原作者・真鍋昌平さんは現代社会について、情報が大量に流れ、多数派の大きな声によって真実が押しつぶされることがあるという趣旨のコメントをしています。
さらに、立ち位置が変われば善悪もひっくり返ると説明しています。
そして『九条の大罪』について、
「どう生きていくかを問われる時代に、どう生きたいかを探求していく」
作品だと語っています。
これはタイトルを考えるうえでかなり重要なヒントです。
「大罪」は九条一人の罪ではない?
ここからは考察です。
作品を見ていくと、問題を抱えているのは九条だけではありません。
犯罪を犯す依頼人。
裏社会を利用する人間。
暴力によって支配する人間。
自分の正義に執着する人間。
弱い立場の人を切り捨てる社会。
さまざまな「罪」が描かれています。
そのため『九条の大罪』というタイトルは、九条個人の犯罪だけを指しているとは考えにくいです。
九条の罪は「悪人を見捨てないこと」?
九条は、世間から見捨てられた人間でも弁護します。
その姿勢は法律家としては筋が通っています。
しかしその結果、被害者側からすれば許せない人物が社会へ戻ることもあります。
つまり九条の「罪」とは、法律を守るために人間の感情を切り捨てなければならないことなのかもしれません。
九条が法律に忠実であるほど、誰かを傷つける。
この矛盾自体が「大罪」と呼ばれている可能性があります。
逆に、九条を「悪」と決めつける社会の罪とも考えられる
もう一つの見方があります。
犯罪者にも権利があります。
しかし世間では、重大な事件が起きると、裁判が始まる前から容疑者を犯人と決めつけるような空気が生まれることがあります。
「悪そうだから罰していい」
「犯罪者なのだから権利はいらない」
となれば、法律そのものが意味を失います。
その意味では、九条ではなく、人を簡単に善悪で切り分ける社会そのものが「大罪」を犯しているとも考えられます。
烏丸がいることでタイトルの意味が深くなる
烏丸真司(松村北斗)は、九条の仕事に疑問を持ち続けます。
九条の論理は理解できる。
それでも人として納得できない。
この烏丸の感覚は、視聴者の感覚にかなり近いです。
もし九条だけが主人公だったら、「法律上は正しいのだから問題ない」で終わってしまうかもしれません。
烏丸がいることで、九条の正しさそのものが問い直されます。
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嵐山から見れば九条は「罪深い」存在
刑事の嵐山義信(音尾琢真)は、九条や壬生を強く敵視しています。
嵐山の立場から見れば、自分たちが必死で追い詰めた犯罪者を法律によって守る九条は許しがたい存在です。
しかし九条から見れば、刑事の個人的感情で依頼人の権利を奪うことはできません。
誰の立場から見るかによって、善と悪が逆転します。
原作者が語った「立ち位置でひっくり返る善悪」が、ここにも表れています。
タイトルに「九条」が入っている意味
それでも作品名は『社会の大罪』ではなく、『九条の大罪』です。
これは九条が、作品に登場するさまざまな矛盾を引き受ける人物だからではないでしょうか。
犯罪者と被害者。
警察と容疑者。
法律とモラル。
表社会と裏社会。
その境界に立つのが九条です。
九条を通して見ることで、社会の中に存在する「何が罪なのか分からない問題」が見えてきます。
「大罪」は七つの大罪の意味?
タイトルから「七つの大罪」を連想する人もいるかもしれません。
しかし現時点で、作品タイトルがキリスト教の「七つの大罪」を直接意味するという公式説明は確認できません。
そのため、七つの大罪と登場人物を無理に対応させる必要はないでしょう。
この作品での「大罪」は、もっと広く、人間や社会が抱える罪・矛盾を強く表現した言葉と見る方が自然です。
映画で「九条の罪とは何か」がさらに直接的に問われる
映画『九条の大罪』の公式サイトでは、ついに、
「九条の罪とは何か?」
という言葉が前面に出されています。
映画では九条自身に逮捕状が突き付けられ、弁護士バッジを賭けた戦いが始まります。
これまで他人の罪を弁護してきた九条が、今度は自分自身の「罪」を問われる構図です。
シリーズのタイトルそのものに、映画で真正面から答えを出そうとしているようにも見えます。
映画『九条の大罪』九条はなぜ逮捕される?逮捕状が出た理由を考察
タイトルの意味をまとめると
『九条の大罪』の「大罪」について、現時点で一つの公式回答が示されているわけではありません。
ただ作品全体から考えると、複数の意味が重なっているように見えます。
- 犯罪者を弁護する九条が世間から「罪深い」と見られること
- 法律を守ることで被害者感情を置き去りにしてしまう矛盾
- 人を簡単に善悪で判断する社会の危うさ
- 立場によって正義と悪が入れ替わる現代社会そのもの
この複数の意味があるからこそ、「大罪」という強い言葉が使われているのではないでしょうか。
まとめ|「九条の大罪」は誰が悪いかを決めるタイトルではない
『九条の大罪』というタイトルは、「九条が悪人だから」という単純な意味ではないと考えられます。
九条は法律を守っている。
それでも、その仕事によって傷つく人がいる。
犯罪者にも権利がある。
それでも、被害者には簡単に受け入れられない。
その矛盾を九条という一人の弁護士に背負わせたタイトルが『九条の大罪』なのではないでしょうか。
「誰が正しいのか」ではなく、「あなたなら何を罪だと考えるのか」。
そこまで視聴者に問いかけるタイトルになっていると考えます。
『九条の大罪』を原作漫画で読みたい方へ
タイトルの意味を考えるなら、さまざまな依頼人と九条が向き合う原作漫画を読むと、作品が描く「法とモラル」の問題がさらに見えてきます。
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